日本史の誕生
2010年 04月 04日
岡田英弘『日本史の誕生』
http://www.amazon.co.jp/dp/4480424490/
1.『三国志』の魏志倭人伝の記述をもとに,みんな邪馬台国の場所を云々しているが,こんなもの信用できない.
2.『隋書』の記述から,推古天皇と聖徳太子は存在しなかったと思われる.
3.『古事記』は偽作.
といった議論を展開する.
1. 中国では,現在でも中国政府の威厳を高めるような海外の人間に対しては,おどろくほどの厚待遇をするが,これは古代からのもので,主に対内的なアピールである(それゆえ「海外からも認められているんだぞ」というのが大事).
三国志も,いろいろな成立事情から,朝貢してきた邪馬台国をいかにも大きな国であるかのように書いたのであって,じっさいは国家と呼べるほどのものではない.
また,距離についても,これをそのまま受け取れば現在のグァム島あたりになるが,これも政治的な事情から,この辺りに大国があって,それと魏が親交があったということを対内的にアピールする必要があった.
2.『隋書』には,裴世清が倭を訪れたときの記述があるが,この記述では,当時の倭の大王は女性ではなく,男性になっている.もちろん聖徳太子を倭王と誤解したのではない(王とは別に摂政がいることを記述しているので).それゆえ,推古天皇と聖徳太子はいなかった.
3.『古事記』は平安時代の偽作.序の内容がおかしいとかいろいろと証拠をあげている.
う~ん.まあ,魏志倭人伝の記述を鵜呑みにするべきではないというのはそうだろうと思うのだけど,そのように散々,中国の史書の疑わしさを述べてきたのに,推古天皇と聖徳太子の話になると,日本書紀より隋書を信用するというのは理屈がよくわからない.
著者も述べているように「うそを付くならそのようなうそをつく理由がある」はずなのだが,結局「なぜ,男王だったのに女王であるかのように書いたのか,聖徳太子なる人物がいるかのように書いたのか」という理由が示されていないため,説得力に欠ける.
あと,本当に女王ではなく,男王だったとしても,しかし摂政がいることは随書にもあるのに,なぜ「聖徳太子がいなかった」(もう少しやわらかく,「実在が疑わしい」という書き方だが)という結論になるかわけわからん.
隋書に出てくる名前が違うということだが,この当時の日本でも中国でも国書に本名を書かないだろうし,仮に本当に違う名前だったとしても,「憲法十七条」とかそういう業績を残した太子がいたら,聖徳太子がいたことになるのでは?(まあ,もし名前が違うのだとすると「固有名とはなにか」といういまでも議論されている哲学のテーマについてどの立場に立つかがかかわってきてしまうが).
「古事記」の偽作疑惑については正直,判断がつかない.平安時代の作とまで言い切っていいのかどうか.
とりあえず,自分の主張に都合のいいように,ここではあれが信用できないがこれは信用できる,でも,あっちではあれは信用できてこれは信用できないと言っている様な感じで,重複する文章が多いわりには論拠が薄いように感じた.
*wikiで聖徳太子の項を見てみたら,虚構説についてはいろいろなヴァリエーションがあるんですね.
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1.『三国志』の魏志倭人伝の記述をもとに,みんな邪馬台国の場所を云々しているが,こんなもの信用できない.
2.『隋書』の記述から,推古天皇と聖徳太子は存在しなかったと思われる.
3.『古事記』は偽作.
といった議論を展開する.
1. 中国では,現在でも中国政府の威厳を高めるような海外の人間に対しては,おどろくほどの厚待遇をするが,これは古代からのもので,主に対内的なアピールである(それゆえ「海外からも認められているんだぞ」というのが大事).
三国志も,いろいろな成立事情から,朝貢してきた邪馬台国をいかにも大きな国であるかのように書いたのであって,じっさいは国家と呼べるほどのものではない.
また,距離についても,これをそのまま受け取れば現在のグァム島あたりになるが,これも政治的な事情から,この辺りに大国があって,それと魏が親交があったということを対内的にアピールする必要があった.
2.『隋書』には,裴世清が倭を訪れたときの記述があるが,この記述では,当時の倭の大王は女性ではなく,男性になっている.もちろん聖徳太子を倭王と誤解したのではない(王とは別に摂政がいることを記述しているので).それゆえ,推古天皇と聖徳太子はいなかった.
3.『古事記』は平安時代の偽作.序の内容がおかしいとかいろいろと証拠をあげている.
う~ん.まあ,魏志倭人伝の記述を鵜呑みにするべきではないというのはそうだろうと思うのだけど,そのように散々,中国の史書の疑わしさを述べてきたのに,推古天皇と聖徳太子の話になると,日本書紀より隋書を信用するというのは理屈がよくわからない.
著者も述べているように「うそを付くならそのようなうそをつく理由がある」はずなのだが,結局「なぜ,男王だったのに女王であるかのように書いたのか,聖徳太子なる人物がいるかのように書いたのか」という理由が示されていないため,説得力に欠ける.
あと,本当に女王ではなく,男王だったとしても,しかし摂政がいることは随書にもあるのに,なぜ「聖徳太子がいなかった」(もう少しやわらかく,「実在が疑わしい」という書き方だが)という結論になるかわけわからん.
隋書に出てくる名前が違うということだが,この当時の日本でも中国でも国書に本名を書かないだろうし,仮に本当に違う名前だったとしても,「憲法十七条」とかそういう業績を残した太子がいたら,聖徳太子がいたことになるのでは?(まあ,もし名前が違うのだとすると「固有名とはなにか」といういまでも議論されている哲学のテーマについてどの立場に立つかがかかわってきてしまうが).
「古事記」の偽作疑惑については正直,判断がつかない.平安時代の作とまで言い切っていいのかどうか.
とりあえず,自分の主張に都合のいいように,ここではあれが信用できないがこれは信用できる,でも,あっちではあれは信用できてこれは信用できないと言っている様な感じで,重複する文章が多いわりには論拠が薄いように感じた.
*wikiで聖徳太子の項を見てみたら,虚構説についてはいろいろなヴァリエーションがあるんですね.
by kunihisaph
| 2010-04-04 16:58
| ヘリクツ/疑問/雑学/読書