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日々考えよう


by kunihisaph
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倫理学が必要なのは誰なのか

中島義道『悪について』(岩波新書)

この人の本は共感するところも多いのですが,露悪趣味が前面に出ているところもあって,いまひとつ「のりきれない」ところがあったのですが,この本は(そこここで「中島節」が顔を出すものの)わりあい学術的なエッセイといった趣でよかった.

カント倫理学を,『罪と罰』のラスコーリニコフや『こころ』の先生などといった文学作品に登場する人物を例に挙げてわかりやすく説明してくれています.

さて,私は善行の基準を「意図」に置くことには賛成しません.この本にも書かれているように,そうなると結局,この世の中に「善行」など存在しないことになるからです.

しかし,この本に描かれている「道徳な人間(これは善い人間ではない)」という概念には非常に共感できました(それをみとめるかどうかはともかく).

思うのですが,「倫理学」というのは,「善人」には縁のない学問だなと思います.

「人の命は地球よりも重い」と何の疑念もなく言える人,「どんなに自業自得のように見えても困っている人は必ず助けるべきだ」と大真面目に言える人,「医者ならば○○すべき,教師なら××すべき,△△なら□□すべき」ということをかたくなに信じ込んでいる人,そういう人たちには倫理学は必要のないものでしょう.なぜならそこにはすでに「答え」があるのだから.

一方で,「そんなのは自業自得だから助けなくてよい」「医者だって人間だから○○してよい」などということをたいした考えもなく平気で言える人にももちろん倫理学は必要ないでしょう.

「善いはずのことをできないこと」「自分のしている善行が自己愛から出ているのではないかと疑うこと」「善行だとされていることが本当に善行なのか迷うこと」「他人に対する嫉妬や侮蔑を自覚し,それに悩むこと」そういうことをしたことのない人には倫理学は必要ないでしょう.

私がそれに反対するかどうかはともかく,道徳というのは歴史的に各人の心理にまで踏み込むものなのですから,そういう心理的葛藤のない者には倫理学は不要なわけです.

倫理学を必要とするのは(道徳的な意味での)悪人,自分が悪人であると自覚しつつそのことに悩む悪人にのみ必要なのでしょう.

ちなみに露悪的な人というのは私はあまり好きではありませんが(その理由はまた機会があれば書きます),自分が善人であると信じて疑わない人よりは道徳的であり,共感できる人間であるとおもいます.

まあ,何も考えずに「悪いのがかっこいい」とおもっているだけのアホなヤンキー(と一部のインテリ)は別ですが.
by kunihisaph | 2005-10-07 20:06 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書