日々考えよう


by kunihisaph
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私は悪人だと言い張る人はずるい

最近友人に教えてもらったのですが,坂口安吾は次のようなことを言っているらしいです(出典は不明)
私は悪人ですと言い張るのはずるい。私は善人ですと言い張ることのほうが責任は重いのだ
まあでもこれは責任感のある人にだけ言えることですし,ちょっと異論もあるし,これとは別の理由で―と思ったけどやっぱり共通するところもあるかもしれん―露悪趣味は嫌いなのですが,まあそれらのことはとりあえず置いておきましょう.ともかくこれが面白い発言であることには変わりありません.

私がそういう考え方に反対するかどうかは置いておいて,通常の意味では善行というのはその意図まで含めて評価されるので,自分が善行を行っている際にもそれが善意志から行われたものかどうかをつねにチェックしなければならず,自分の心の暗黒面と向き合う精神力が必要です.

そして,当たり前の話ですが,善人と言い張るためには善行をしなければならないわけです.だけど,この善行という基準が難しい.自分が善だと思っても悪である場合もあるわけです.それに自分の無知から来る悪行を避けなければなりません.

完璧な善などというのは存在しないわけですから,つねに「より善」を目指して,自分の言動と内面をチェックし続けなければなりません.「いまやっているのはとりあえず自分のできうる限りの善なのだからこれでいいのだ」といそこにとどまるのはやはり真の善人とはいえないでしょう.

それが本当に「できうる限り」なのか,もっとできることはあるのではないか.あることを犠牲にするのが惜しいがためにできるはずの善をおこなっていないということはないか・・・.きりがないわけですが,善人だと言い張るためにはそうしなければなりません.

とはいえ,善人だと言い張るのとその発言に責任を持つのはまた違うわけですけどね.自分が善人だと言い張らないまでも思っている(少なくとも人を偽善者だと「批判」する人間は思っている可能性が高いはずだが)人は多いと思うのですが,そのうちのどこまでが,いま言ったような生き方をしているのか・・・.

本当に自分が善人かどうかチェックせずに自分はそうだと思い,そう言い張るのは(そしてあまつさえも他人を「偽善者」呼ばわりするのは)独善的としか言いようがないわけですが.

でもそうだとしてもともかく,善人だと言い張ることは,それを本人が意識しているかどうかはともかく,こういうこと(いま私が言ったようなこと)を言われるわけですよね.

一方で悪人だと言い張ることは,そういうことから免除されているわけです,悪いことをしてもうそをついているわけではないし,仮に少しでも善行をすると,うそつきだと非難されるどころか,「悪人だとか言っているけど実はいい人かも・・・」なんていわれるわけです.ああ,悪人だと言い張るほうが得だなあ.

ちなみ私自身はそもそも(道徳的な意味での)善悪という二元論自体に疑問を感じているので,悪人であるとも言わないし,善人であるとも言いません(これはこれでずるい?).
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by kunihisaph | 2005-10-20 14:57 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書