確率の不思議
2006年 04月 12日
「精密に作られたさいころを1回振ると1の目が出るのは6分の1」という命題があるとします(まあいくら精密に作っても振り手のくせなどで正確には6分の1ではないのでしょうけど).
で,ともかくも1回振ってみたとします.すると1の目が出たとします.
その場合,その試行の前には「1の目が出る確率は6分の1である」とはいえても,試行の後には「1の目が出る確率は6分の1である」とはいえないわけですよね.「1の目が出る確率は6分の1だった」とはいえても.
いや当たり前の話といえば当たり前の話なのですが.
それと関係のある話だと思うのですが,さいころを2回続けて振るとして,まだ1度も振っていない時点では,1の目が2回連続して出る確率は36分の1なのですが,1回目の試行の後,もし1の目が出たならば,その時点での2回目の試行の後に1の目が出る確率は6分の1になります.1度1の目が出たならば,次にまた1の目が出る確率は他の目が出る確率より低そうな気がしますが,そうではないんですね.
だからたとえば,宝くじにあたる確率が1万分の1だとして,じゃあ9999回買ってはずれつづけたら,その次にかった場合に必ずあたるかというと,実はその次に買った宝くじが当たる確率もやはり1万分の1なんですよね.
ちなみに1万本一度に買うとひとつはあたる確率は,1-(9999/10000)^10000になると思います.つまり,1本買ったときに外れる確率は9999/10000なので1万本すべてが外れる確率は(9999/10000)^10000です.いま求めたい確率は1万本のうちひとつは当たる確率ですから,1からすべてが外れる確率を引いたものになります.実際に計算しなくても想像できるように,確かに1本だけ買うよりは高い確率になりますが,1万本買ったところでそれほど高い確率にはなりませんね(と思ったけど,後で考え直してちょっとこの例は失敗かなと思いました).
話を少し戻すと,ともかく,確率というのは現実化する前の話のことです.
たとえば喫煙すると癌になる確率が高くなるといいます.これはちょっとさいころの話とは確率の出し方は異なるのですが,たとえば(実際にそんな厳密な実験は行われていないとは思いますが)1000人ずつの2つのグループをつくって,一方は喫煙させて,他方は喫煙させずに,しかし他の条件はすべて同じにしてたとえば30年間なら30年間観測を続けます.
そしてここではその詳細は省きますが,この両者を比べて癌になる他人の割合が「統計的に有意」といわれるくらい差が出てくれば,「喫煙によって癌になる確率は高まる」といってよいと思われます.
しかし,もちろん喫煙した人すべてが癌になるわけでもないし,喫煙しなかった人すべてががんにならないわけでもありません.
吸いたいのを我慢してストイックに生きてきたのに癌になる場合もあれば,好きなようにぷかぷか吸っていても癌にならずに長寿を全うする場合もあるわけです.
確率とはあくまで可能性の話であって,現実化してしまえば確率が高いも低いもないんですね.
ところで,さいころの場合はあくまで現実問題としてわれわれには確率的にしかどの目が出るかわからない,という話だったわけですが,原理的には決定論です.
しかし,量子力学的な世界では,原理的に微視的粒子の振る舞いは決定できません.実験後観測して初めてどの可能性が現実化したかがわかるわけです.
つまり観測前と観測後で決定的な変化が生じるわけです.
量子力学において粒子がどのように振る舞うかの確率を教えてくれる物理量を波動関数といいますが,観測後,さいころの例と同じように,現実にとった振る舞いの確率は1になるので,この現象を「波動関数の収束」といいます.
いま述べたのは波動関数という物理量を確率を示すものとして解釈する「確率解釈」と呼ばれる考え方ですが,時間が進むにしたがって,過去と未来で決定的な違いが生じるのは,「多世界解釈」と呼ばれる別の解釈を取ったところで変わりません.たしかに「波動関数の収束」といわれる現象は生じませんが,その代わり,時間が進行するにしたがって世界がどんどん分岐していきます.
だけど不思議なことに,量子力学における波動関数の時間発展を記述する方程式は古典力学の運動方程式と同じく,時間対称的です.
ではいったいこのような量子の世界の過去と未来の非対称性はどこから生じるのでしょうか.
で,ともかくも1回振ってみたとします.すると1の目が出たとします.
その場合,その試行の前には「1の目が出る確率は6分の1である」とはいえても,試行の後には「1の目が出る確率は6分の1である」とはいえないわけですよね.「1の目が出る確率は6分の1だった」とはいえても.
いや当たり前の話といえば当たり前の話なのですが.
それと関係のある話だと思うのですが,さいころを2回続けて振るとして,まだ1度も振っていない時点では,1の目が2回連続して出る確率は36分の1なのですが,1回目の試行の後,もし1の目が出たならば,その時点での2回目の試行の後に1の目が出る確率は6分の1になります.1度1の目が出たならば,次にまた1の目が出る確率は他の目が出る確率より低そうな気がしますが,そうではないんですね.
だからたとえば,宝くじにあたる確率が1万分の1だとして,じゃあ9999回買ってはずれつづけたら,その次にかった場合に必ずあたるかというと,実はその次に買った宝くじが当たる確率もやはり1万分の1なんですよね.
ちなみに1万本一度に買うとひとつはあたる確率は,1-(9999/10000)^10000になると思います.つまり,1本買ったときに外れる確率は9999/10000なので1万本すべてが外れる確率は(9999/10000)^10000です.いま求めたい確率は1万本のうちひとつは当たる確率ですから,1からすべてが外れる確率を引いたものになります.実際に計算しなくても想像できるように,確かに1本だけ買うよりは高い確率になりますが,1万本買ったところでそれほど高い確率にはなりませんね(と思ったけど,後で考え直してちょっとこの例は失敗かなと思いました).
話を少し戻すと,ともかく,確率というのは現実化する前の話のことです.
たとえば喫煙すると癌になる確率が高くなるといいます.これはちょっとさいころの話とは確率の出し方は異なるのですが,たとえば(実際にそんな厳密な実験は行われていないとは思いますが)1000人ずつの2つのグループをつくって,一方は喫煙させて,他方は喫煙させずに,しかし他の条件はすべて同じにしてたとえば30年間なら30年間観測を続けます.
そしてここではその詳細は省きますが,この両者を比べて癌になる他人の割合が「統計的に有意」といわれるくらい差が出てくれば,「喫煙によって癌になる確率は高まる」といってよいと思われます.
しかし,もちろん喫煙した人すべてが癌になるわけでもないし,喫煙しなかった人すべてががんにならないわけでもありません.
吸いたいのを我慢してストイックに生きてきたのに癌になる場合もあれば,好きなようにぷかぷか吸っていても癌にならずに長寿を全うする場合もあるわけです.
確率とはあくまで可能性の話であって,現実化してしまえば確率が高いも低いもないんですね.
ところで,さいころの場合はあくまで現実問題としてわれわれには確率的にしかどの目が出るかわからない,という話だったわけですが,原理的には決定論です.
しかし,量子力学的な世界では,原理的に微視的粒子の振る舞いは決定できません.実験後観測して初めてどの可能性が現実化したかがわかるわけです.
つまり観測前と観測後で決定的な変化が生じるわけです.
量子力学において粒子がどのように振る舞うかの確率を教えてくれる物理量を波動関数といいますが,観測後,さいころの例と同じように,現実にとった振る舞いの確率は1になるので,この現象を「波動関数の収束」といいます.
いま述べたのは波動関数という物理量を確率を示すものとして解釈する「確率解釈」と呼ばれる考え方ですが,時間が進むにしたがって,過去と未来で決定的な違いが生じるのは,「多世界解釈」と呼ばれる別の解釈を取ったところで変わりません.たしかに「波動関数の収束」といわれる現象は生じませんが,その代わり,時間が進行するにしたがって世界がどんどん分岐していきます.
だけど不思議なことに,量子力学における波動関数の時間発展を記述する方程式は古典力学の運動方程式と同じく,時間対称的です.
ではいったいこのような量子の世界の過去と未来の非対称性はどこから生じるのでしょうか.
by kunihisaph
| 2006-04-12 13:32