日々考えよう


by kunihisaph
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民俗学者の小松和彦によると,「呪い」とか「たたり」というのは,ある種の「説明」として導入されたものだといいます.

たとえば,ある人(もしくはある社会)に不幸が続くのはなぜか.それは,その人が誰かからのろわれているからというわけです.

村落などでよくある伝説に「六部殺し」と言われるものがあります.ある家が六部(巡礼者)を泊めてやったときに,その六部を殺して彼の所持していた金品を奪ったため,その呪いでその家には不幸が続いたのだ,というものです.

小松和彦は,さらに,このような六部殺しは,単に不幸の説明としてだけでなく,ある共同体内で富裕になった家があると,を説明するのにも用いられるといいます.

つまり,その家が豊かになったのは,六部から殺した金によってであり,その後没落したのは六部のたたりによってであるというわけです.

同様に,ある家が富裕になったことの説明としてよく用いられるのが,狐つきや狗神つきです.
その富裕になった家は,実は狐つきの家筋で,狐が他家から金品を奪って豊かになったというのでsy.

それゆえ,こういう言い伝えがある村では,狐つき筋とされた家は,たとえば,会社を持っていて,その村の人たちがそこで雇われているとしても,雇い主が雇われている側から差別されたりします.

本来強者であるはずの豊かな人間が,本来弱者であるはずの貧しい者たちに(人を殺してその金品を奪った,低級霊を使って他者の金品を奪った)「悪」として,差別されるわけです.

呪いは,こういった庶民レベルの信仰にとどまらず,権力者にも浸透していて,日本の歴史はこの呪いや祟り,そしてその鎮魂を抜きにしては語れないといいます.

ところで,現代社会では,「呪い」そのものはなくなったわけではありませんが,「呪いのパフォーマンス(たとえば丑の刻参りとか)」が効く,という信仰はやはり薄くなってきています.

小松和彦は,このことによって,以前ならば,「呪い」の気持ちを強く持った人間は,「のろいのパフォーマンス」によって相手に呪いをかけ,それで相手が何らかの不幸になれば,自分の呪いが効いたと思ってある程度,鬱憤を晴らすことができ,怨念が浄化されていたわけですが,そういった「呪いのパフォーマンス」に頼ることが少なくなった現在では,怨念は浄化されずに,相手の身体を直接的に攻撃するという形をとって顕在化する恐れがあるかもしれないといいます.

そう考えると,ああいったさまざまなヴァリエーションの呪詛の体系を作り上げた人類の執念も恐ろしいのですが,それはそれで呪いを浄化する働きがあるので,ある意味,社会秩序を保つために必要なものなのだなあという気もしますね.

丑の刻参りをしている女性を見つけてもそっとしといて上げましょう.ていうか,そんなこと言われなくても関わりたくないですね.
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by kunihisaph | 2004-05-29 12:28 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書