日々考えよう


by kunihisaph
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南極は寒いけど,風邪は引かないらしい.

なぜなら,人がいないので,風邪のウィルスが繁殖していないから.南極観測隊隊員も,隊員の誰かが南極に行く前に感染していない限りは,風邪を引かないらしいです.
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by kunihisaph | 2005-02-27 15:06 | 人体・生命の不思議
よく,「人の役に立てるような立派な人間になりたいです」とか「哲学なんて何の役にも立たないよ」などといった台詞を耳にします.

しかし,この役に立つとか立たないとかといった言い方は非常にあいまいなものです.役に立つとか立たないとかと言うときは,なにかはっきりとした基準をまず示さなければなりません

たとえば,「哲学は役に立たない」という場合,いったい何の役に立たないのか,ということをはっきりさせなければ意味がないわけです.

「役に立つ/立たない」は見方によってある意味どうにでも言うことができます.哲学は,科学技術などと同じ意味では生活の役に立たないが,何かある哲学的な問いに悩まされている人にとっては,その同じ問題を考えてきた過去の哲学を学ぶことは自分で独自の答えを出すことに大きく役に立つでしょう.

ところで,この「役に立つ」をどんどん追究していくと,そのうち科学技術も哲学もどこかで「役に立たない」というところにぶつかります

たとえば,いま哲学がなんの役に立つかのひとつの例を出したが,では,「ある哲学的な問いに自分なりの答えを出すことがなんの役に立つのか」と問われると,たとえば,「すっきりするから」となるだろうが,さらに「ではすっきりすることはなんの役に立つのか」と問われると,(まあまだ何か答えられるかもしれないが,結局のところ)「いや,まあそれ自体は何かの役に立つというわけではないけど・・・」ということになるでしょう.

そうすると,極論すれば,「世の中のあらゆるものは最終的には役に立たない」という言い方も出来るわけです(しかし,何らかの役に立つ).

ならば,「哲学は役に立たない」という非難は当たっているではないか,ということになるかもしれませんが,非難としての「哲学は役に立たない」はやはりおかしい.

なぜなら,ここで「哲学も」ではなく,「哲学は」と言っていることで(とはいえ,もちろん文脈でそうでない場合もありうるが)暗に,ほかのもの―たとえば科学技術―は役に立つが,哲学は役に立たない(ゆえに哲学なんていらん)と言っていることになるからです.

これが(どういう基準によってそう言うのかを明示しなければ)なぜおかしいかはいま述べた通りです.

さて,こういう具合に「哲学は役に立たない」という批判に答えるやり方もあれば,もちろん,いっそ「ええ,役に立つませんよ,それがなにか?」という開き直り型の答え方もあります.

こういう答え方も私は好きです.

実際に,いま述べたように,ある基準を採ると哲学は役に立たないというのは事実です.「しかし,別に現実的な役に立ったり,高尚な目的を達するために役立ったりしなくても,それが好きだからやるんでいいじゃん」というわけです(この場合,その人の嗜好を満足させるという意味では哲学は役に立っている).
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by kunihisaph | 2005-02-25 14:39 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

なぜ人を嫌うのか

仏教は人生を苦であると考え,その苦には「生・老・病・死」の4つがあると分析します.これを四苦といい,これに「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の四苦を加えて「四苦八苦」といいます.「五蘊盛苦」の「五蘊」とは,精神も肉体も含めた全存在であり,それらすべてが苦に満ちているということです.

たぶん一般の人は50歳代くらいまでは最初の四苦のうち,「生」以外はぴんとこないと思います.私もぴんときません.後の四苦も「愛別離苦・五蘊盛苦」はわかりにくいですね.「愛別離苦」は愛しているものと別れる苦しみのことですが,日常生活においてそうあるものでもないですよね.だけど,残る「怨憎会苦・求不得苦」は身近なものだと思います.

私は高校生のころに,この四苦八苦の分析に「怨憎会苦」があるのを知って,仏陀の分析力に感心した記憶があります.

年齢が行くと共に,人を嫌いになるということはだんだんなくなってきたし,そもそも「怒りのエネルギー」が持続しなくなってきたので,あまりこの「苦」はなくなってきましたが(そもそもあまり人生を苦だとは感じていないのですが),自意識が肥大する思春期にあってはこの「怨憎会苦」というのはリアルのものでした.

この「人を嫌いになる」という感情は自分自身にとってもあまり気持ちのよいものではないですよね.「他人を嫌悪している自分」というのがまた嫌いになったりするものです.できれば人を嫌うことなく寛容に生きていきたいと思うわけですが,なかなかそうもいかない.

おそらくこの「人を嫌う」というのは自己嫌悪の裏返しで,実際,自己に自信―無根拠な自信ではなく,しっかりとした根拠に基づく自信―を持っているひとはあまり他人を嫌うことはないように思います.

「嫌う」という行為は自分の価値観を脅かすものをそれによって否定するという働きがあります(それゆえ,―有名な話ですが―自分が嫌う人を分析するしてみると,自分が認めたくない自分のいやな部分をもっている人だったりするんですよね).つまり,ルサンチマン(妬み)から発した「想像上の復讐」なのですね.

だからある意味で,最近,人を嫌うということが少なくなってきたということはだいぶ私自身にもある種の「自信」がついてきたのかなと思う一方,まったくなくなったわけでもないので,まだまだ「自信」をつけるために修練が必要だなとも思うわけです.
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by kunihisaph | 2005-02-05 13:59 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書
宇宙論で,いくつかの本を読んでもわからないことがあります.

ひとつは,ヘリウムより重い元素は恒星内の核融合でできたということですjが(それが恒星が爆発したときに宇宙空間内に散らばり,それがまた重力でかたまり,地球のような物質ができた.だからよく「われわれは星屑からできている」といわれる),実はこの核融合では鉄より重い元素(たとえば銅や銀や金)はできないそうです

だったら,それより重い元素はいったい,いつどのようにしてできたのでしょうか.なぜかどの本にも書かれていません.

もうひとつは,現代宇宙論ではビッグバン(より正確にはインフレーション)により,宇宙は無か少なくとも非常に小さい体積から誕生して,まだ有限の時間しか経っていない(ひとつの説は約150億年)といいます.それゆえ宇宙の体積は有限のはずです.

ところが,よくわからないのが,一般相対性理論から予測される宇宙の形状というのがあって,それには開いた宇宙と閉じた宇宙,そして平坦な宇宙があるということなのです.

細かい説明は省くきますが,開いた宇宙と平坦な宇宙では宇宙の体積は無限だとどの本でも解説されています.そして現代宇宙論ではわれわれの宇宙は開いているか平坦であるかの可能性が高いとされているといいます.なんだかよくわからないです.

ただ,それについてはピーターアトキンス『ガリレオの指』という本に少しだけそれらしきことが触れてあって,われわれの宇宙が始まったときにもすでに空間は無限であったというようなことが書かれてました.

う~ん,でもいまひとつわからないなあ.宇宙っていうのは空間も含めてじゃないの?宇宙の創世というのは空間そのものの創世も含めていると思うのですけど.

[補足]

重い元素の生成については解決しました

[補足2]

円筒形は曲率0で平坦だそうです.だから,円筒の端をつないだドーナツ型にすれば端がなく平坦な2次元平面ができるみたいです.
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by kunihisaph | 2005-02-03 23:03 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書