日々考えよう


by kunihisaph
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電車のつり広告や,新聞の広告を見ていると,雑誌でよく,「モテるための~」という記事があるわけですが,あれって,本当に参考する人間がいるのでしょうか.

異性(性的嗜好によっては同性)からモテるというのは通常はうれしいことなのであろうが,それはそもそもなぜかというと,「自分の魅力を認めてもらえた」ということがうれしいわけです.

だから,そのような雑誌を参考にすることによって仮にモテても,それは雑誌のおかげであって,自分自身の固有の魅力によるものではないのだから,あまりうれしくないのではないかと思うのですが,どうなんでしょうか.

まあ,そもそも「固有の魅力ってなんじゃい」と言い出すと,また難しい話になるわけなのですが….
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by kunihisaph | 2005-04-28 15:44 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書
なんで,金持ちの男と付き合うと「どうせ金目当てなんでしょ」と非難めいたことを言われるのでしょうか(以下の話は,もちろん,男女逆にしても成り立つ話です).

別に,その女性が金持ちの男性と付き合ったところで,非難している側に何かの迷惑がかかるわけではないのに.

まず,非難しているのが女性の場合.

言う側も実は金銭というものに価値を認めているということがあります.本当はそう非難するものも金持ちの男性と交際するとか,そのような楽な(ように見える)手段で金を手に入れたいわけです.

もしそういうことに無関心であるならば,相手からなんら迷惑をかけられているわけではないのだから,何も非難する必要はないですよね.

しかし,そうやって金銭的なものに価値を置いているならば「うらやましい」といってもよさそうだが,なぜいわないかというと,自分が金銭に価値を置いていることを認めたくない,もしくは,楽な手段で金銭を儲けたいと思っていることを認めたくないのです.

では,それはなぜなのか.

世の中が拝金主義=悪とみなす傾向があるからです.それはなぜか.それについては男性の場合を考えてからまた改めて考えましょう.

男性の場合,これもまた経済力という評価基準を自分自身が重視しているがゆえに非難するのです.

さまざまな価値基準が存在することを容認していれば,「その女性は金がすきなんだね」で終わるはずなのに,わざわざ非難するということはそれだけ「経済力」という評価基準に自分自身がとらわれているわけであり,なおかつ,表面的には経済力を評価基準としたくないわけです.

ここでもまた,拝金主義=悪という図式があります.

経済力というのは数値化されて非常にわかりやすいということがこのような図式の原因としてあると思います.たとえば,日本の偏差値重視の教育というものもよく批判されましたが,これも数値化によって非常に順列がはっきりしてしまうという構造があるからです.

つまり,「こちらよりこちらのほうが上」という非常にわかりやすい図式であるがゆえに,「人より上に立ちたい」と思う人間にとってはありがたい基準である一方,そう思っているのにその基準で測ると自分はそれほど上でないような人間は,それに強く反発するのでしょう.

一方で,性格とか発想力とか,あいまいな基準では,どちらがどちらより上ということがはっきりしないため,そのような基準で自分が選に漏れても言い訳ができるわけです.

それゆえ,実は経済力という評価基準にとらわれている人間でも,「確かにほりえもんの方が金は持っているかもしれないけど,ほかのところでオレのほうが魅力があるのだ」と言い訳をしようとするわけです.

そもそも,そういう基準にとらわれていなければ何もわざわざそういうことをいう必要もないのです.

「金で選んでいるのは相手の本質を見てその相手を選んでいないということだが,性格で選ぶのは相手の本質を見ている」というのはもちろん,誤りであり,これは以上のような捻じ曲がった心理を覆い隠すために創り出されたたわごとに過ぎません

実際,経済力を得るためにはそれなりの才能が必要であり,才能はその人間に備わっているものです.だから「金で選んでいるのは相手の本質を見ていない」というのはおかしい.

次に,「金で相手を選ぶのは,相手に付き合うことによるメリットを考えていて,そんなのは本当の愛ではない」というのもおかしい.

性格がよい男性を選ぶ,というのも,そういう性格のよい男性と交際することによるメリットを求めているのですから.

最後に,金はなくなることがあるかもしれない,という意見に対しても,性格も,人間の性格など,どのようなきっかけで変わってしまうかわからない,とも言えます.

結論として,客観的には,経済力という評価基準と性格という評価基準のどちらがよくてどちらが悪いということはありません.ただ性格の方が基準としてあいまいなので,融通が利き重宝されるわけです.

ところで,男性(女性)の評価基準はどちらがよいということは言えませんが,偏差値という基準の場合,従来言われてきたほど悪いとは私は思わないどころか,むしろこちらのほうがいろいろとメリットがあるのではないかと私は思います.

たとえば,入社試験の際に,どこの大学出身かということが評価基準に加わることに対する異論がありますが,現実問題として,女性が男性を(男性が女性を)選ぶときと違って,じっくりと時間をかけてさまざまな観点からその人物を評価するというのは不可能に近いわけです.

そして,ちょっとやそっとの時間の面接で,「こちらよりあちらの人物のほうがわが社に貢献するだろう」などというのがわかるはずがないのです.

たしかに,あまりひどいのや,突出して優れている場合はわかるのかもしれないが,基本的にはみんな五十歩百歩です.その中から選ぶとなると,出身大学や学部しかないわけです.

そして,大学入試も同様で,たとえば小論文なんて書かせても,実際に高校生が書いた小論文を相当数私は見たことがありますが,やはり五十歩百歩です.

せいぜい,全体として3つか4つかのグループに分けることができるな,といった程度ですね.そのグループ内でのよしあしの判断はかなり難しく,採点基準も正直なところ幅が出てきます.業者のようなつねに小論文の採点をしている人たちはある程度はっきりした基準が自分の中でできてくるかもしれませんが,実際の入試で採点するのは大量の小論文をこまかく採点した経験があるわけでもない大学教員です.先ほど言ったよな大雑把なわけかたはもちろんできるでしょうけど,はっきりいってそれほど細かい点数付けをクリアな基準でできるとは思えません.

そういうことを考えると「総合力」なんてあいまいなことを言わずに,もっとクリアな従来の試験でいいと思います.

なんかいつの間にかはじめと話が変わってしまいましたね.
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by kunihisaph | 2005-04-13 15:47 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書