日々考えよう


by kunihisaph
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<   2005年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧

魂の存在証明

魂の存在は証明できるでしょうか.

永井均という哲学者は「できる」と考えているようです(「魂」の定義がやや特殊です.それについてはあとでお話します).ここから先の話は,彼自身も言うように,どうもわかる人にしかわからない部分があるようなのですが,面白い話だと思うのでとりあえず話を続けます.

彼がつねに注目し続けているのは「私」「というものです.

仮に,記憶や性格,思考といったものもすべて物質的なものに還元できるとしましょう.いまその人がどんな記憶をもっているかとか,何を考えているかということも,たとえば脳の電気状態を調べればわかってしまうというように仮定します.

さて,技術が発達して,ある人物のDNAから記憶から性格からなにからすべてまったく同じコピーが作れるようになったとします.

すると,他人から見ると,この人物の「オリジナル」と「コピー」はまったく区別がつかないはずですね.どんなに親しい人でも,性格から記憶から思考方法までまったく同じ二人の人物を区物はできません.

ところがこのコピーされたのが自分自身だったらどうでしょうか.

たしかに,他人からは自分とそのコピーを区別することはできませんが,自分自身は自分とコピーの違いを区別できます.当然ですよね.自分でないのがコピーなのですから.

しかし,この「私を私たらしめているもの」はなんでしょうか.それは性格でも記憶でもDNAでもないはずです.もちろん,ほかの物質的なものでもありません.なぜならそれらがまったく同じコピーと「私」はやはり違うものなのですから.

この「私を私たらしめているもの」こそが「魂」だと永井均は(たぶん)いうのです.それゆえ,「私」を他者から絶対的に区別できる以上,魂は存在するわけです.

もう少し違う視点で考えて見ましょう.

おそらく,多くの人はいままで「いまの自分でない自分」を想像したことがあると思います.しかしその「いまの自分でない自分」を「自分」たらしめているものはなんでしょうか.

仮に神様がいて,いまの自分をまったく変えてもらえることができるとします.しかし,外見も知力も体力も性格も記憶も,名前も,両親すらもすべて変えてもらったとして,それでもそれが「私」であることを保証するものはなんでしょうか.それが「魂」だというわけです.
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by kunihisaph | 2005-08-23 14:27 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

幽霊・宇宙人・超能力

いつも不思議なんですが,なんかテレビとか見てると,超能力とか肯定する人って,宇宙人が地球に来ているとか幽霊が存在するとかって話も肯定するじゃないですか.

でもこれらって相互に関連ないですよね.超能力が存在するからって宇宙人が地球に来ているとは限らないし,幽霊が存在するとも限らない.

まあ,超能力と幽霊についてはそれが存在したら現代物理学は大変なことになるでしょうけど,宇宙人は別にいてもいいと思うし.もちろん,恒星間移動ができる宇宙船が開発可能だということは,現代科学技術にとっては大変なことだし,他の星の生物進化を調べると,現代生物学にもかなり大きなインパクトがあるとは思いますが.あと,哲学的にも認識論とかいろいろとインパクトがあるかもしれませんね.

しかしともかく,超能力や幽霊が存在することと宇宙人が地球に来ていることとはなんの論理的なつながりもありません.それに幽霊と超能力もかなり違いますよね.

ていうか,幽霊っていったい何なのでしょう.魂が実体化したもの?

しかし,魂とは何か.よくわかりませんね.生物にはすべてあるものなのか.
それともある程度高等な動物にしかないのか.「心」と「魂」はどういう関係にあるのか.
とりあえずわからないことだらけです.まあ,心と魂についてはそのうちじっくり考えてみたいと思います.

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ところで,「恐怖」という感情は面白い感情です.前にも少し書きましたが,「笑い」と「恐怖」は隣り合っていると思います.どちらも日常から少し外れた現象にたいして起こりうるものだと思いますが,どうなれば「恐怖」でどうなれば「笑い」なのかなかなか微妙です.

実際,ホラー映画などは,見る人によって「え?これってコメディ映画ですか」といいたくなるようなものも多いですしね.

さて,その「日常にふと忍び込む不条理が恐怖を生む」という理論(?)にしたがって昔書いてみた怪談のなかからお気に入りのものを公開.

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「深夜番組」

夜中,私は一人でテレビを見ながらいつの間にかうとうととしていました.やがてふと気づくと,なぜか部屋の電気は消え,テレビの画面だけがぼおっと暗い闇に浮かび上がっていました.

テレビ画面にはやたらと長い石階段が映っています.どこかの神社のようです.照明に照らされた部分だけが闇の中に浮かび上がり,石段の上部は暗い闇に飲み込まれています.それがなおさらこの石段の長さを印象付けます.まるで私が見るのを待っていたかのように,画面は石段の上へと移動しはじめました.

画面にはまったく人が映っていません.ナレーションもありません.静かな暗闇の中,コツ,コツ,と足音だけが響いています.

やがて石段を昇りきり,鳥居をくぐり,境内の森の中へとカメラは進んで行きます.しばらくしてカメラはふと止まりました.そして照明が落とされます.画面はほとんど真っ暗です.私は部屋の電気を点けるのも忘れてその真っ暗な画面を凝視しつづけました.蒸し暑い夜です.汗がぼたぼたと床に落ちます.

かなり長い沈黙の後,さっと,白い影と明かりが画面上を横切りました.

そしてまた沈黙が続きます.

やがて,カーン,カーンと釘を打つような音が聞えました.数分間その音は続き,それが終わった後,また白い影と明かりが画面を横切りました.

また沈黙.

やっとすこしだけ照明がつき,カメラは先ほど音がした方へと近づいて行きます.私がテレビを見はじめてから人間の声はまだ一言も聞いてません.

しばらくして,カメラはひとつの木へどんどんと近づいて行きました.その木の幹には藁人形が五寸釘で打ち付けられています.その藁人形へさらにカメラが近づく.そして….

見なければよかった.

その藁人形には私の名が書かれ,私の写真が貼られていたのです.
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by kunihisaph | 2005-08-21 14:24 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

ISBNコード

本にはバーコードが2つついています.何で2つあるのか不思議で5,6年前本屋のお姉さんに聞いたこともあるのですが,わからずじまいでした.それで今まで忘れていたのですが,この間ふと思い出し,調べてみました.一方がISBNコードでもう一方が分類コードと定価コードだそうです.

ところで,ISBNコードは10桁ありますが,はじめの一桁目は言語コードだそうです.日本語なら4.しかし,0-9の10個で足りるのか?

で,残りの9桁のうち2-7桁が出版社のコードで1-6桁が書名コード,最後の一桁がチェック用のコードだそうです.

たとえば岩波書店のコードは00なのですが,すると,書名コードとして使えるのは6桁,すなわち000000-999999までで100万冊分です.
足りるのかなあ.
それより,そんな出版社あるのかどうかわからないけど,出版社コードが7桁とかになっちゃうと,0-9で10冊分ですよ.
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by kunihisaph | 2005-08-15 14:21 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

大と小

尾篭な話で申し訳ないのですが,大便と小便ってなんでああいうんですかね.確かに,一瞬なんとなく納得しそうな気がしますが,実際に体積とか比べて本当に大便のほうが大きいのでしょうか.それとも体積の大小の問題ではないのでしょうか.

もし体積の問題ではなくああいうネーミングになっているとすれば,水洗の大と小のレバーのうちどちらを使うべきかは,大便か小便かによって決めるのではなく,体積が大きいか小さいかで決めるべきなのかもしれません.

実際,小便で小のレバーを使っても流しきれないことありますよね.逆に,試したことはないのですが,大便でも量が少なければ小のレバーで事足りるかもしれません.

環境問題解決のためにも大便や小便というネーミングにとらわれないようにしましょう.と無理やり環境問題と結びつけることによって下品な話題を下品でないかのように見せようとしてみたり.

ところで,シモネタのシモって下品のシモなのでしょうか,下半身のシモなのでしょうか.
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by kunihisaph | 2005-08-14 14:19 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

冷房とドライの違い

前から不思議だったのですが,面倒なのでしらべたことがなかったことにエアコンの「ドライと冷房の違い」があります.

基本的に除湿のしくみはおそらく外部の空気を冷やして露点以下にすることによって空気中の水蒸気を水滴にして乾燥させるというものだと思います.

で,まさかふきだすときに再加熱なんて面倒なことしないだろうから,だったら結局冷房と同じなんちゃうんかと.

だからむかし母がよく「冷房だと寒いからドライにする」といってドライにしていましたが,合点がいきませんでした.

それで今日,やっとおもいたって調べてみたんですが,どうやら高級なエアコンだと(「そんな面倒なことはやらんやろ」と思っていた)再加熱して室温を下げないようにするというものがあるらしいです.

冷房ならば室外機で外部に放出するはずの熱を放出せずに室内に戻してやるようです.ただ,そんな面倒なことをする分,冷房より電気代はかかるようです.

そしてやはり低価格のエアコンは単なる風量の弱い冷房であるようです.うちのエアコンは安物なので,たぶん単なる弱冷房だと思います.

ちなみに除湿機の除湿の仕組みはおおきくみっつの種類あって,エアコンのドライのようにコンプレッサー式と呼ばれるもの(冷媒の気化熱を利用して冷やす)と,乾燥剤を使うもの,そしてコンデンス式と呼ばれるものがあるようです.

最後のコンデンス式というのがよくわからなかったのですが,コンプレッサー式とは逆に空気を暖めてやることによって水分を蒸発させて乾燥させるようです.

ついでに言うと,再加熱しないタイプの除湿は,空気を露点まで下げているので,空気中の絶対的な水分量は減りますが,相対湿度は100パーセントなので,梅雨時などに(安価な)エアコンでドライにしても洗濯物が乾きやすくなるということはありません.再加熱式は相対湿度が下がるので洗濯物は乾きやすくなります.
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by kunihisaph | 2005-08-11 14:07 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

鼻づまりと紙づまり

前から少し不思議なのは,「鼻づまり」は「鼻に鼻水などがつまる(鼻が鼻水によってつまる)こと」ですが,「紙づまり」は「コピー機などに紙がつまること」ですね.

どちらも「**づまり」という形式なのに,前者は「AがBにつまった」のBが「**」の部分に入り,後者はAが「**」の部分に入ります.

これは何でなのでしょう.

「紙づまり」のほうはなんとなくわかるような気がします.つまり,「紙づまり」という言葉を使うときは,それはたいがいコピー機なりプリンタなり,「なにかがつまってしまったもの」を目の前にして使われるので,Bの部分をわざわざ言う必要はないわけです.まあ,コピー機なりプリンタなりに何かがつまったといえば,たいがい紙ですけど.

では鼻づまりのほうはどうでしょうか.これも鼻がつまっているのはわかっているのでわざわざ言う必要はないような気がしますが,この場合は,今度はBが何かわからないけど,とにかく鼻がつまっているんだということを言いたいのではないでしょうか.原因を強調したいときは「鼻水がつまっている」と言います.

まあこれも鼻に何かがつまっているといえばふつうは鼻水でしょうけど.

だから,「紙づまり」の場合も,原因がわからない状態で言うときは「コピー機がつまっている」と言います.

なんだか話が振り出しに戻ったような気がしますが,ではなぜあえて「コピー機づまり」や「鼻水づまり」といわないのかということですね.

結局,ABどちらに話者が関心を持つことが多いかという頻度の問題で,鼻がつまった場合,とにかく(なにによってかはあまり話者の関心はなく)鼻がつまっていることを言いたいことが多いのに対して,コピー機がつまった場合,通常はなにがつまったことに話者の関心があることが多いということでしょうか.

なんかわかったようなわからないような強引なまとめ方ですが.ていうか,なんでこんなことを一生懸命考えなければいけないんだという気もしますが.

[補足]

その後,掲示板で「ここでいう"鼻"は"はなみず"のことではないか」という指摘を受けました.たしかに,「鼻が出る」という言い方もしますので,そうかもしれません.それだと統一的に理解できますね.
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by kunihisaph | 2005-08-07 02:30 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書
ところで,今回の引越しは5万円で引き受けてもらいました.しかし考えてみると,段ボール箱40でも足りないくらいの量の本を運ぶのに,4人で5万円.俺だったらヤだな.しかも,会社にいくらかとられるわけだから,これをまるまる4人でわけるわけではないはずです.

はじめの正規の引越料が14万だかなんだかで,「高いな」と思ったけど,考えてみればこんなものなのかもしれません(いやまあ,いくらにせよ作業員に支払われる給与は変わらないんでしょうけど).

そういえば,昔,上岡龍太郎と笑福亭つるべのトーク番組で,つるべが「うにが1個千円以上もするって高すぎますよねえ」と言ったら,上岡龍太郎が「だったら千円やるからうにとって来い,といわれてお前はとってくるのか」というようなことをいっていたような気がします.

まあ,うにの場合は1個ずつとるわけではないのでまた話が違うような気もしますが.
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by kunihisaph | 2005-08-05 02:27 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

怒劇

ところで,前から思っているのですが,喜怒哀楽の「喜」と「楽」って微妙にかぶっているような気がするのですが.「喜怒悲」でいいんじゃないの.リズムが悪いけど.

ところで,喜怒哀楽の「楽」は無視するとして,喜に対応する「喜劇」,哀に対応する「悲劇」はあるのに,「怒」に対応する「怒劇」はないんですよねと思って,ググって見たら,同じようなことを考えている人がいました

私も怒劇があるとしたら社会批判ものとかかなと思っていました.
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by kunihisaph | 2005-08-02 02:24 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書