日々考えよう


by kunihisaph
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研究発表終わり

なんとか無事(?)発表が終わりました.参加者のみなさま貴重なご意見ありがとうございました.おかげで少し頭の中が整理できたような気がします.気のせいかもしれんけど.

引っ越し後はじめて京都方面へ出たのでまだ慣れてなく,帰りに逆方面の電車に乗ってしまいました.
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by kunihisaph | 2006-04-30 10:19 | 研究生活

夢のカリフォルニア

いよいよ明日が研究発表ですが,なんとか間に合いそうです.いや,微妙に間に合っていない項目もあるのですが.それは6月の科学基礎論学会までに間に合わすということで.

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ちょっと話は変わるのですが.

引っ越し準備をしているときに自分の所有しているCDをあさっていたらなつかしのイーグルス「ホテル・カリフォルニア」をみつけて,しばらく聞きまくっていました.

カリフォルニアといえばママス&パパスの「夢のカリフォルニア(California Dreamin')」も好きなのですが,どちらも「明るく暖かい太陽のカリフォルニア」をテーマにしているわりにメロディが哀愁を帯びていて,歌詞もけっこう暗いんですよね.

そういえば,この間読んだCalifornia Girlもくらい話でした.

いずれも60年代終わりから70年代のカリフォルニアをテーマにしているのですが,確かにこのころのカリフォルニアはなんとなく退廃的なイメージがありますよね.

人間というのはどうも華やかな外見の下に隠された暗部をどうしても見てしまうようです.というか,きらびやかで華やかな外見の下には隠された暗部が必ずあるというか.

「ホテル・カリフォルニア」の歌詞にもホテルで「ワインを持ってきてくれ」と言われたホテルマンが"We haven't had that spirit here since 1969"という場面があるのだけど,ここで使われているspiritは文脈からはもちろん「アルコール類」という意味なのですが,現在の退廃したカリフォルニアのミュージックシーンには真の「ロック・スプリットがない」ということを言おうとしているとされています(1969年になにか特別な出来事があったのかどうか走りません).

そのほかにも全体的に「ホテル・カリフォルニア」の歌詞は意味深でダブル・ミーニングに満ちていてなかなか好きです.ラストの"You can check out anytime you like, but you can never leave"というのも有名ですね.「いつでも好きなときにチェックアウトとできるが,決して去ることはできない」.なんだかよくわからないけど意味深です.ここでも"check out"というのがホテルの「チェック・アウト」という意味のほかに「死ぬ」という意味で使われているという説があるようです.
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by kunihisaph | 2006-04-28 09:09
Yahooって絶対に!を最後につけないといけないんですかね.ついているとどうしても黙読するときでさえ力が入ってしまうのですが.

それはともかく.引っ越し前に要らない本を処分しようとYahoo!オークションで出品して見ましたが,「こんなの売れんやろ」と思うようなものまで結構売れて古本屋に売るより全然よかったです.

いままでも引っ越しのたびに本を売っていたりしていたのですが,古本屋だったので二束三文で買い叩かれていてかなり損していました.

まあ,オークションの場合は買い手とのやり取りや発送の準備などが面倒だったりするんですけどね.
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by kunihisaph | 2006-04-25 13:08

新居での生活

d0067914_1212424.jpgインターネットもつなげてだいぶ日常生活に戻りつつあります.とりあえず,必要な本を荷解きして29日の科学哲学コロキウムでの発表に向けてラストスパートしなければなりません.

ちなみに29日は京大会館というところで午後2時からあります.参加は自由で参加費は100円なので,近郊にお住まいの方はお気軽にお越しください.次回の発表は疑似科学と科学の線引き問題についてなので,そんなに難しい内容にはならないはずです.

ところで,「猫は家につく」とよく言うように,前の引っ越しのときもそうだったのですが,家が変わると猫は落ち着かないようです.とくにちび(「ちび」だけどでかいほう)は1日中不安げな声で鳴いていました.いまはもうだいぶ落ち着いて以前のようないたずらっ子になっていますが.写真は引っ越ししたばかりのときに2匹が押入れの隅で固まっている様子です.
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by kunihisaph | 2006-04-24 11:59

復活

やっとネットにつなぎました.とにかく荷物(特に本)が多くて片付けるのが大変です.また明日ゆっくり更新します.
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by kunihisaph | 2006-04-23 23:38

引っ越し!

突然ですが,引っ越ししますんで,20日か21日まで更新できません.29日に研究発表があるのに,引っ越しの準備で忙しくて全然発表のほうの準備ができてません.こまった.

いまのところは,前にもお話ししたことがあるように,前のマンションが猫がだめだったので,引っ越してきたのですが,あわてて探したせいか,劣悪物件でした.

夏になると・・・ていうか,秋になってもゴキがうようよいるわ,なんか壁がやたら薄くてとなりの生活音が丸ぎこえだわ,なんど掃除しても洗面所の排水溝から下水のにおいがするわ,天窓は雨漏りするわ・・・.

新しいところは新築未入居物件で今のところと広さもあまり変わらず,家賃もあまり変わらないので,ラッキーです.ワンフロアに一室しかないので,隣の音を気にしなくてもいいし,下もガレージなので,下に対する音も気にしなくてもいいというのがよいです.

まあほんとうにラッキーかどうかは引っ越してしばらくすまないとわからないのですが・・・.
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by kunihisaph | 2006-04-17 09:26

今年度の予定

今年度はとにかくまず博士論文を書くことですね.それが審査に通るかどうかは私の裁量ではどうにもならないのですが,まあとりあえず書いて提出することを目指します.

あと,これはその博士論文の一部をなすものなんですが,疑似科学と科学の線引き問題についての論文も学会発表後に投稿したいですね.

で,他にはそれと並行して熱・統計力学と量子力学の復習,確率の哲学の勉強,時空の哲学の勉強をやって行きたいですね.

あと,英語の小説もどんどん読んで英語を読むスピードもあげていきたいですね.

・・・て,やることいっぱいあるなあ.どうも近頃だらだらと過ごしていてよくない!気合を入れないと.

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ていうか,来年度の進路を決めないといけないけど・・・.来年度はどうなっているんかなあ.
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by kunihisaph | 2006-04-15 10:13

確率の話:つづき

そもそも「確率とは何か」というのに関してはいろいろな説があるようです.それについてはまだ勉強不足なのですが,ぼちぼち勉強していきたいと思っています.

ひとつの考え方は,さいころの場合で言うと,60000回さいころを振るとかなり高い精度で10000回は1が出る,もしくは60000個の(同じ規格の)さいころを一度に振るとそのうちの10000個にかなり近い数のさいころの目は1になっている,ということなわけですよね.まあ,前者と後者が同じことを意味しているのかどうかというのはまたちょっと問題だったりするわけですが.

しかも,可能性としては60000回降っても1度も1の目が出ない確率も0ではないわけですね.だから,「それぞれの目が出る確率が6分の1につくられているさいころを60000回振ってその6分の1が1の目になる確率」というのを計算することもできるわけです.

さて,ところで昨日の宝くじの例はあまりよくないような気がしてきました.たとえばロト6みたいなタイプのくじの場合,1等が出る確率は(43個の数字の中から6つの数字を選ぶ),1/43_C_6になるので,1/6,096,454になるわけですが,これはいちどきに6,096,454とおりの組み合わせすべてを買えば必ずあたります.つまり1等が当たる確率は1です.このような場合の確率はまたさいころの確率とは意味が違うような気がしますね.どうなんだろう.

ただし,毎回1とおりずつ6,096,454回買っても(1等が)当たる確率は1-(6096453/6096454)^6096454にしかなりません.そして,これも昨日書いたように,現時点で「いまから6096454回買ったら1等が当たる確率」はいま述べた計算式によって導き出される確率ですが,6096453回買ってすべて外れて,その次に買ったロト6が当たる確率はやはりまた1/6096454になります.この場合はさいころと同じような感じがしますね.ちょっとよくわかりません.

このあたりのこともおそらくよく研究されてそうなのでぼちぼちやっていきたいと思います.とりあえず古典であるラプラスの『確率の哲学的試論』でも読みます.

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ところで.

降水確率って,過去に同じような気象状況になったときに降水のあった確率のことでしたっけ?
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by kunihisaph | 2006-04-13 07:38

確率の不思議

「精密に作られたさいころを1回振ると1の目が出るのは6分の1」という命題があるとします(まあいくら精密に作っても振り手のくせなどで正確には6分の1ではないのでしょうけど).

で,ともかくも1回振ってみたとします.すると1の目が出たとします.

その場合,その試行の前には「1の目が出る確率は6分の1である」とはいえても,試行の後には「1の目が出る確率は6分の1である」とはいえないわけですよね.「1の目が出る確率は6分の1だった」とはいえても.

いや当たり前の話といえば当たり前の話なのですが.

それと関係のある話だと思うのですが,さいころを2回続けて振るとして,まだ1度も振っていない時点では,1の目が2回連続して出る確率は36分の1なのですが,1回目の試行の後,もし1の目が出たならば,その時点での2回目の試行の後に1の目が出る確率は6分の1になります.1度1の目が出たならば,次にまた1の目が出る確率は他の目が出る確率より低そうな気がしますが,そうではないんですね.

だからたとえば,宝くじにあたる確率が1万分の1だとして,じゃあ9999回買ってはずれつづけたら,その次にかった場合に必ずあたるかというと,実はその次に買った宝くじが当たる確率もやはり1万分の1なんですよね.

ちなみに1万本一度に買うとひとつはあたる確率は,1-(9999/10000)^10000になると思います.つまり,1本買ったときに外れる確率は9999/10000なので1万本すべてが外れる確率は(9999/10000)^10000です.いま求めたい確率は1万本のうちひとつは当たる確率ですから,1からすべてが外れる確率を引いたものになります.実際に計算しなくても想像できるように,確かに1本だけ買うよりは高い確率になりますが,1万本買ったところでそれほど高い確率にはなりませんね(と思ったけど,後で考え直してちょっとこの例は失敗かなと思いました).

話を少し戻すと,ともかく,確率というのは現実化する前の話のことです.

たとえば喫煙すると癌になる確率が高くなるといいます.これはちょっとさいころの話とは確率の出し方は異なるのですが,たとえば(実際にそんな厳密な実験は行われていないとは思いますが)1000人ずつの2つのグループをつくって,一方は喫煙させて,他方は喫煙させずに,しかし他の条件はすべて同じにしてたとえば30年間なら30年間観測を続けます.

そしてここではその詳細は省きますが,この両者を比べて癌になる他人の割合が「統計的に有意」といわれるくらい差が出てくれば,「喫煙によって癌になる確率は高まる」といってよいと思われます.

しかし,もちろん喫煙した人すべてが癌になるわけでもないし,喫煙しなかった人すべてががんにならないわけでもありません.

吸いたいのを我慢してストイックに生きてきたのに癌になる場合もあれば,好きなようにぷかぷか吸っていても癌にならずに長寿を全うする場合もあるわけです.

確率とはあくまで可能性の話であって,現実化してしまえば確率が高いも低いもないんですね.

ところで,さいころの場合はあくまで現実問題としてわれわれには確率的にしかどの目が出るかわからない,という話だったわけですが,原理的には決定論です.

しかし,量子力学的な世界では,原理的に微視的粒子の振る舞いは決定できません.実験後観測して初めてどの可能性が現実化したかがわかるわけです.

つまり観測前と観測後で決定的な変化が生じるわけです.

量子力学において粒子がどのように振る舞うかの確率を教えてくれる物理量を波動関数といいますが,観測後,さいころの例と同じように,現実にとった振る舞いの確率は1になるので,この現象を「波動関数の収束」といいます.

いま述べたのは波動関数という物理量を確率を示すものとして解釈する「確率解釈」と呼ばれる考え方ですが,時間が進むにしたがって,過去と未来で決定的な違いが生じるのは,「多世界解釈」と呼ばれる別の解釈を取ったところで変わりません.たしかに「波動関数の収束」といわれる現象は生じませんが,その代わり,時間が進行するにしたがって世界がどんどん分岐していきます.

だけど不思議なことに,量子力学における波動関数の時間発展を記述する方程式は古典力学の運動方程式と同じく,時間対称的です.

ではいったいこのような量子の世界の過去と未来の非対称性はどこから生じるのでしょうか.
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by kunihisaph | 2006-04-12 13:32

実は神を信じている?

私は神頼みというのが大嫌いで,特にその傾向は中高生のころに強く,それ以外の年は普通に初詣なんかも行くのですが(あ,今年は行かなかったな),受験の年は,親や友人たちに誘われても意地でも行きませんでした.

しかしこれは私が神というものを信じていないからそういう迷信にすがるのがいやだ,ということなのかというと,自己分析によるとどうもそうではないようです.

なぜかというと,実はなぜ神頼みをするのがいやだったかというと,もしお祈りをして合格してしまったら,自分の実力ではなく,神さまのおかげで合格したことになり,それがいやだったわけです.

考えてみれば,本当に神を信じていないならば別に神頼みをしたって何がどうなるわけでもなく,単に時間と労力の無駄というだけの話でそれほどムキになって拒否するほどのことでもないわけです.

まあ,神を信じているからこそ神頼みをしないということもあるという話でした.
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by kunihisaph | 2006-04-11 13:16