日々考えよう


by kunihisaph
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地球-金星,地球-太陽

昨日は,姪に勉強を教えていました.それでそのときにちょっと面白い問題をみました.「地球からのきょりは,金星までよりも太陽までのほうが遠い」という文は○か×か.

まあ改めてこういう風にいわれると,ちょっと考えてしまうので,間違えないかもしれませんが,わりとやさしめの問題がならんでいるなかにまざっていると,何も考えずに○にしてしまいそうになりません?なりませんか.

[一応解説]

ついつい,太陽-金星-地球という並びで考えてしまいますが,金星-太陽-地球というならびになることもあって,その場合は金星-地球間のほうが地球-太陽間よりも遠くなりますね.
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by kunihisaph | 2006-07-30 11:00 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

明日も晴れそうだ

でも,近畿の梅雨明けもまだみたいですね.

ところで,スーパーなどに雨の日に行くと傘を入れるビニル袋があるじゃないですか.あれ必要なんですか.私は意地でも使いません.

店内に入る前に十分に水切りをすればよいと思うのですが.資源の無駄づかいがどーのこーのいわれている時代にどうなのかな,と.リサイクルもタダじゃないしね.

まあ,どうでもいいっていえばどうでもいいんだけど.
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by kunihisaph | 2006-07-26 16:52 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書
やばいサイトを見つけてしまった

マインスイーパーは10年ほど前にはまって,上級で100秒きったらやめようと思って,やっと切れるようになったと思ったら,「90秒きったやつがいる」といううわさを聞いて,またやりはじめて89秒を出したところでしばらくやめていました.

ところがこのサイトを見るとハイスコアは43秒・・・.ありえねー.

久々にやってみたら123秒でした.

いやしかし,これまた気づいたらマインスイーパやっていたという時間が増えそうだ.やばい・・・.
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by kunihisaph | 2006-07-19 09:26

ブス専とはなにか

よく「ブス専」とかいうじゃないですか.不美人(ここで「不美人」というのは男性にも意味を拡張して使っておきます)のことばかり好きになるという.

しかし,これって本人からするとどうなんでしょうね.その男性(もしくは女性)をAとすると,Aさんは,
(1)相手のことを不美人だと認識していて,しかしだからこそすきなのか,

(2) 世間的に不美人だといわれているだけで,本人からするとその相手はすごく美人に見えるのか,

(3) 不美人だということもわかっているし,外見だけはそれほど好きではないのだけど,たまたま自分が性格的に好きになった人が不美人ばかりだった.
(1)と(2)は外見が「原因」なのですけど,(3)は真の原因は外見ではないのだけど,たまたま外見が一致していた.

次回も少しお話しますが,18世紀のイギリスの哲学者ヒュームは原因と結果という関係を「Aという事象につづいてBという事象が時間的・空間的に近接しておこるならAがBの原因であるとわれわれは認識する」といいました.

たとえば,ビリヤードのボールAがとまっているボールBにぶつかって,Bが動き出したならば,ボールAがBに当たったことの原因です.

しかし,(3)のばあいは,「不美人であること」と「Aさんがそのひとをすきになること」はいままでの経験ではつねに一致していますが,しかし,「不美人であること」は「Aさんがその人を好きになること」の原因ではありません.

そこで,70年代にルイスという哲学者が反事実条件法という方法を使って原因という概念に新たな見方を提出しました(実はヒュームもちらっとこのような仕方で原因を定義している).

彼によると,「もしAでないならばBでなかったであろう」という命題が真であるときにAはBの原因であるといわれます.

「もしその人がそのような外見でなかったならばAさんはその人を好きになっていなかったであろう」は(1)(2)の場合は真ですが,(3)の場合は偽です.それゆえ,(3)の場合は「不美人であること」は「Aさんがその人を好きになること」の原因ではないわけです.

これにはまたいくつかの反論があるのですが,それはまたの機会に.

しかしなににせよ,真の「ブス専」といえる人は(1)だけだと思うのですが,外から見ているだけでは,(1)-(3)は区別がつきません.だから,不美人な人とばかり付き合っているからといってその人をブス専呼ばわりするのはやめましょー.無理やりなしめ.
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by kunihisaph | 2006-07-17 14:58 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

規則に従うということ

昨日の続き.

昨日の話で重要となる点は,われわれは他人がある規則に本当に従っているかどうかを本質的にはわからない,それは実践を通してのみ知られることである,ということがあります.

つまり,「疑う」という言葉をほんとうにデカルトが「みんなと同じ」言語ゲームの規則にしたがって使っているかどうかはわからないのです.

この「規則にしたがっているかどうかは本質的にわからない」ということを次のような例で考えてみましょう.

カントは,毎日,同じ時刻に散歩をしていたという有名な逸話があります.それを仮に朝10時だとしましょう.さて,カントと同時代にカントの近所に住んでいた人が,カントが毎日10時きっかりに散歩に出かけるのを見て,「カントさんは毎日10時に散歩に出るという規則に従っているのだ」 と思ったとしましょう.では,このご近所さんの推測が当たっているということはどのように証明されるでしょうか.

カントに直接聞いても無駄です.なぜなら,もしカントが「ええ,私は毎日10時きっかりに散歩に出かけることにしていますよ」 と言ったとしても,カントが「毎日」という言葉についてわれわれとは別の言語規則に従っているかもしれないからです.

では,過去の実例から?しかし,この場合でも,もしかしたら,カントは100歳の誕生日だけ11時に散歩に出かけ,それ以外は10時に散歩に出かける,という規則に従っていて,カントの「毎日」という言葉の意味もそういう意味なのかもしれない.

ちなみに,ちょっと話はそれますがこれと似た難問に,帰納法の難問というものがあります.これは,たとえば,「すべてのカラスは黒い」という命題を証明しようとして,いくら多くのカラスを調べても,次に調べたカラスは白いかもしれない,という疑惑をぬぐいきれないという難問です.さて,しかし,この規則に従うことの難問と帰納に関する難問とは異なります.

すなわち,もし,あるとき捕まえたカラスが白ければ,「すべてのカラスは黒い」という命題は否定されます.ところが,もし,カントがある日11時に散歩をしたことがあるとしても,ご近所さんの「カントさんは毎日10に散歩をすることにしている」という推測が間違ったことにはなりません.

なぜなら,カントはこの日に限って朝寝坊をするか手の離せない用事があって,規則に従い損ねたからかもしれないからです.

このような感じで,われわれが言語を使用するときもある規則にしたがって使用するわけですが,その規則をまなぶとき,なにか明示的な規則を教えられて学ぶわけではなく,実践を通して学んでいきます.

それゆえ,その自分が学んだ規則が他者のしたがっている規則と本当に一致するかどうかは,本質的にはわからないものなのです.
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by kunihisaph | 2006-07-12 17:58 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

言語ゲームと疑いの限界

17世紀のフランスの哲学者デカルトは,学問の基礎付けのために,絶対確実なものを探ろうとして,そのために「方法的懐疑」ということを行いました.なんでもかんでもうたがってみて,それでもうたがえないものが「絶対確実なもの」というわけです.

彼は数学的な真理さえ疑ってみた挙句,ついに,「そうやって疑っている自分自身の存在は絶対に疑えない」というところにまで到達して「われ思う,ゆえにわれあり」という命題を主張します.

さて,しかしデカルトはその疑う過程の中で用いている言語の使用の正しさまでは疑っていませんでした.

つまり,実はデカルトは言語の規則をまったく間違って理解しているのかもしれないわけです.そうであるならば,デカルトは,言語を使って懐疑を実行していたわけですが,そもそもそれがうまく言っていない可能性がある.

たとえば,彼の「疑う」というのは本当に疑うということなのか,「私」は本当に私なのか・・・などなど.彼の懐疑は徹底しているようでいて,実は言語の使用にまで疑いを向けていなかった点で不徹底なのです.

(ちなみに,彼と同時代人のガッサンディは,「私が疑っている」から「私は存在する」を導き出そうと思ったら,「疑うものは存在する」という前提が必要だという鋭い批判をしました.後のヒュームも,人間の精神を「知覚の束」だといいいます.つまり,「疑う」だけがあって,疑う主体がない可能性はあるわけですね.いまの議論とは関係がありませんが)

もちろん,この時代は「反省 Reflexion」による哲学が中心で,「言語論的転回」といわれるフレーゲ-ラッセル-ウィトゲンシュタイン以降の哲学とは方法論が異なるので,仕方がないのですが.

すなわち,20世紀のいわゆる分析哲学は,「言語は公的なものである」という認識と「われわれの思考は言語を介して行われる」という認識の上で行われました.一方でデカルトなどの哲学には思考に対する言語の重要性や言語は公的なものであるという認識に欠けていました.

それはともかく,しかしこれは逆に言うと,「徹底的な懐疑なんて無理」というのに等しいわけです.いまいったように「懐疑」は言語を使ってなされるわけですが,言語の使用までも疑うと,懐疑という行為自体が成り立たない.

そこで(かどうかはわかりませんが)ウィトゲンシュタインは「すべてを疑おうとするものは疑うところまで行かないだろう.疑うというゲームそれ自身がすでに確実性を前提にしている」といいます.
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by kunihisaph | 2006-07-11 11:55 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書

やっと再投稿

投稿していた論文が5月の中旬くらいに返ってきたのですが,学会の準備などで忙しく,先日やっと修正して再投稿しました.

ここで興味がある人のためにちょっと説明.

学術雑誌には,査読つきと査読なしのものがあります.大学で発行されている紀要と呼ばれるものはほとんどが査読なしですが,学会が発行している雑誌はほとんどが査読があります.

査読というのは,まあひらたくいうと審査ですね.その論文がその雑誌に掲載するに値するかどうかを審査するわけです.

この査読にもふたとおりあって,ブラインドレフェリー制のものとそうでないものがあります.人文社会系の学部や講座は独自の学会をつくっていてそこから雑誌を発行していたりますが(たとえば大阪大学文学研究科には大阪大学文学会という学会があってそこから『待兼山論叢』という雑誌を出しています),そういう場合の査読はおそらくほとんどがブラインドレフェリーではありません.

一方,全国規模以上の学会誌はほとんどがブラインドレフェリー制をとっています(医学雑誌なんかはとっていないものも多いと聞きますが).

ブラインドレフェリー制というのは,レフェリーに誰が書いた論文であるかを伏せる制度です.投稿された論文を,その雑誌の編集者がその論文を審査するのに適当だと思われる人物(2-3人が普通だと思います)のところへおくるわけですが,その際に誰がその論文を書いたのかは伏せられます.そうやって公平さをたもつわけです.投稿者のほうもだれが審査したのかはわかりません.

で,2ヶ月から長いと半年くらい(場合によっては1年くらい待たされることもあるらしい)で「レフェリーコメント」が返ってきます.

通常は1発OKとなることはなく(雑誌によっては基本的に掲載拒否か可かのどちらかに一度で決まるところもあるみたいですが),理由を示されて掲載拒否されるか,いくつかの修正案を出されて,修正のうえ再投稿となります.

後者の場合は,レフェリーコメントに従って修正すれば普通は次で掲載許可が出ます.もちろん,場合によってはまた修正を求められることもあるし,次で拒否られることもあります.

それで最終的に掲載許可が出ると,2-3回くらい校正をして,雑誌掲載ということになります.

だから投稿してから実際に雑誌に掲載されるまで早くて半年長いと1年以上待たなければならないということになります[追記:私はこのあいだ投稿から掲載可をもらうまで2年半かかった.しかも実際の掲載はさらにその9ヶ月後].

雑誌自体,人文系は,1年に1回とか2回とかしか発行しないものが多いので(国際的な雑誌となると年に3,4回もしくは毎月発行されるものもありますが),タイミングが悪いとかなり待たなければいけないということになります.
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by kunihisaph | 2006-07-08 19:17 | 研究生活

ホームの内側・外側

前から気になっているんですが.

「ただいま電車が参ります.危険ですから白線より内側でお待ちください」という放送があるじゃないですが.

でもさ,「内側ってどっち?」て思いません?たいがい,線路をはさんでホームが複数あるじゃないですか.そうすると,直感的に言って,内側って,線路側のような感じがするんですけど.だったら,電車が来るのに白線より内側に行くとあぶなくないか.

たまにホームがひとつで,それをはさむように線路がふたつあるような駅もあって,そういうのは線路から離れる側が内側なのかなと思うけど.

いやまあ,ホームをひとつだけ独立させてみて,「ホームの」内側となると,線路から離れる側になるんでしょうけど.駅の放送では「白線より内側」としか言ってないですよね.

電車が来たときに,白線より線路側に行って,電車に轢かれて怪我をして,「駅のアナウンスどおりにした」といって,慰謝料を取れないでしょうか.

「それくらい常識でわかるだろ」ともし言われたとしたら,「常識でわかるくらいのことならアナウンスいちいちするな,言わないと乗客にはわからないと思うからしているんだろ」ていえそうですね.

ほんとうにしかし,駅のアナウンスはおっせかいというか,基本,乗客を馬鹿にしてますよね.
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by kunihisaph | 2006-07-06 10:51 | ヘリクツ/疑問/雑学/読書